今回から自分が経験したことや興味や疑問に思ったことを随時更新予定です。

 

 

 

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てんかんと両親に病気を言われた俺の気持ち…

子供

俺は、てんかんと言われたのは中学生になる前の春休み。

夕食を食べ終わって、母親が食器を洗って片づけて落ち着いた時間に、テーブルを囲んで両親と俺が座っていた。

俺は、こどもながらいや~な空気になる。と直感で思った。

そして、いつもは、おちゃらけるような父親が、神妙な顔・・・。
母親もなにもしゃべらない・・・。

いや~な雰囲気が続いた後

父親の第一声が、俺が生まれて骨髄炎を患ったこと、脳出血で右手が不自由になった経緯を話していた。そして、てんかんになったことも詳しく話していた。

俺としては、髄膜炎とか脳出血で右手が不自由と言われても、「ふ~ん」それで・・・。ただただ聞くだけで終わってしまったんだけど。

てんかんと言われて知っていたよ!と言い返したかった★

子供

真剣な眼差しで、てんかんの病気を話していたが、知っていたよ。と言い返したかった。

4歳ころには、脳波検査や血中濃度の検査をしていたので、なんとなく気づいていた。

俺には、2歳下の兄弟と積み木やボードゲームで遊んでいた。
自分にはできないこともあっさりとこなしていた。

 

 

その頃は深く考えることはなかったですが、、、。

大きくになるにつれて、だんだんと理解できる年齢になってきたから、兄弟とも違うし、

小学校でも友だちとの違いが、手に取るようにわかってきた。

俺の記憶では、小学校2年か3年で、休み時間に椅子に座っていたのに、気づいたときには教室の床に張りつくように横たわっていた。

倒れこんだ拍子に記憶が戻ったが、声もうまく出せずにいた。

てんかんの病気は、小学生のときの発作で、もう知っていたよ。言い返したかったけど、
そんな雰囲気じゃなかった。

てんかんになった理由も病気の内容もわかったけど、抗てんかん薬を飲むしかなかった!

子供

てんかんとわかったところで、抗てんかん薬を飲み続ける現実。

抗てんかん薬を飲み始めた2歳ころは、医師に2年程度で断薬できる期待もあった。しかし、年齢とともに大きくなり、薬の量も多くなって、発作も薬で抑えきれない・・・。

医者の提案で手術。いまは、発作となる部分の切除で、短期間で断薬もできる。でも今よりも悪くなってしまうことから、諦めて抗てんかん薬を飲むことになったんです。最悪、半身不随か言語障害がのこる可能性があると、医者に説明された。

 

 

俺のころは、成功の確率が50%

脳出血で右手が不自由があったので、手術して失敗したら、自分では何もできない体。

極端にいえば、両親や兄弟の負担になっていたかもしれない。

そう考えると、手術をしない選択は正しかったのかも。

いまでは、薬を飲み始めて40年以上。

30歳で、徐々に発作が出なくなってて15年。これから抗てんかん薬を飲み続けるだろう。発作になる確率は低くなっているけど、もうあんな経験はしたくない。断薬は無理でも、今は20代の頃より、ふつうと言える生活を送ってます。

いま想うこと!てんかんと話す時は適した時期に!

時計

俺の場合、てんかんになった意識はぜんぜんない。

骨髄炎や脳出血、輸血をしないと治らない核黄疸になり、生死を彷徨ったらしいが、まったく覚えていない。

生まれてから患ったてんかんと右手の不自由。自分にはふつうのこと。

親は、てんかんと話すのは、子どもが傷つかないよういったつもりだが、
本人は、肌で感じ理解してるものです。

10代のころは、ネットの情報が正しいと思い込んで、ネガティブになり落ち込んでしまう年齢です。

さいきんは、てんかんと言っても、種類が多すぎて混乱します。
特発性てんかんや症候性てんかんで、部分発作や複雑発作と種類が多くあるので、説明するときの切り出し方も難しく感じるかもしれません。

かならず、病気のことを話す時期が来ますが、神経質にならずに普段通りに話すのがが一番です。

 

 

子どもは親の態度に、敏感ですが、普段と違った態度は見抜きます

どのように説明したらいいか、迷ったときは医者に相談してみてくださいね。

さいごまで読んでくれてありがとう